活動レポート

第7回有識者会議 基調報告:張富士夫さん(トヨタ自動車副会長)、中村邦夫さん(松下電器産業社長)

基調報告 1

「グローバル時代の人材育成」張 富士夫(トヨタ自動車副会長)

h20051205学校を卒業した人たちを採用する側から見ると、その人のポテンシャルを重視して採ることがとても大事になっている。どんな人材像かというと、1つは、変化への対応能力が高く、現状に満足せずに自分を成長させることに強い意欲を持っている人だ。思いどおりにいかなくても、チャレンジととらえ、ポジィティブに取り組める人ということになろうか。もう1つは、我が社はさまざまな国の人たちと一緒に事業をしているので、相手の価値観を尊重でき、チームで仕事をするのに抵抗感がない人ということになる。
社会に出ると競争も厳しく、上司のしごきもある。若いころから多くの経験をしてきた人たちのほうが、耐えられる気がする。やったことは自分できちんと責任をとる、相手を尊敬する、自分の行動を自分で考えて決める、という教育が学校や家庭で行われていると、会社へ入ってから苦労しないという感じがする。 我が社では、新入社員教育から役員研修まで教育システムはでき上がっているが、我々が大事に思うのは訓練のほうだ。知らないことを教えるのが教育とすると、訓練とは知っていることを繰り返して実行し、物の見方や考え方、価値観などを身につけることだ。仕事を通し、しっかり鍛えることが大事だと考えている。 私どもの本格的なグローバリゼーションは、86年に米国のケンタッキーに20万台製産の工場をつくり、別会社でもって自分たちの手で100%やっていくということから始まった。私が現地責任者になり、社員60人、つまり60家族を連れていったが、「日本人は群れる」と言われたくない、ばらばらに住んでくれ、というのが豊田さんの考えだった。60人の日本人に対し、アメリカ人は3,000人いたが、これが本当によかった。アメリカの文化や習慣、価値観はこんなに違うものかと身にしみてわかった。 日本人はアメリカに行っても、ほかの人はどう考えるかと横並び意識が出るが、アメリカ人は自分がいかにほかの人と違うかというアイデンティティーを大事にする。岡本行夫さんは、日本人は「平和」を尊ぶのに対し、アメリカ人にとっての最高の価値は「自由」だと言う。その自由に基づいてとことん競争する、競争が前提の社会であり、話し合って平和にやりたいという私どもの考えはアンフェアだ、と言われた。うちと取り引きするときはトヨタの車を使ってくれないかと言ったりすると、トヨタの製品を買わないと取り引きしないと言っている、けしからんと言われた。誤解も含め、こんなことが毎日起きた。 アメリカで現地の人たちと仕事をしながら、変えられるものは何か、変えられないものは何かと考えた。例えば、「ギブ・アンド・テーク」。日本人より義理がたいところがあり、好意で何かをしてあげると、必ずこたえてくれる。アメリカでは自分のお金と時間で教育を受けるのに、この会社は、会社の時間とお金で教育してくれる。そういうことにこたえてくれ、1号車から日本の工場の製品に負けない品質にしてくれた。ちゃんとやれば、この人たちはこたえてくれる、人間としては一緒だなと思った。 私どもはトヨタウェイ、チャレンジ・改善・現地・現物、リスペクトとチームワーク、これが大事なトヨタの価値観であるということで教育していると同時に、こういうものを身につけてくれた人たちを現地のトップに持っていく。リスペクトは、相手を大事にする、簡単に首を切ってはいけないということにつながっていく。欧米では、台数が減ると簡単に首を切る。それが欧米の文化と言っていいと思うが、うちは違うよと。 まとめると、やはり人間的な魅力というか、誠実で温かいとか、自分の考え方をきちんと持っている人はグローバルにも通用する。フレキシブルで相手の文化や考え方をよく理解する人がグローバルな時代にも企業の中で適用できる。こういうところへ若い人たちを持っていくことが大事で、それを代々つないでいくことが我々の使命と思っている。

基調報告 2

「企業内教育」中村 邦夫(松下電器産業社長)

話に入る前に、最近、驚いたことをご報告させていただきたい。日本のGDPに占める公的教育投資は3.5%だそうで、世界平均の5.1%を下回るどころか、OECD各国の中では2番目に低いという。義務教育の面で見ると、1学級当たりの児童生徒数で、日本は2番目に多いという数字が出ている。一人一人の子供たちの特性に合う教育を行うとか、人格形成を含めたきめ細かな教育ができる環境にあるのかどうか、日本にとって喫緊の問題だと思う。 さて、松下電器産業の経営は、松下幸之助が残した経営理念、哲学を常に基軸としながら進めていかねばならないと考えている。企業というのは社会からの預かり物である、「社会の公器」であるという哲学だ。そして、お客様第一。それから、「日に新た」。企業が使命を果たすためには、時代に応じて常に変えるべきは変え、変わらなければならないと。今風に言えば、たゆまぬイノベーションということだ。今後も、こうした松下幸之助の考え方に沿って経営を進めていくという点で、我が社は特殊な会社と言えなくもない。 企業内教育の反省として、20世紀は、会社あっての家庭、会社あっての私、という会社論理至上主義というか、そういう傾向が強い時代ではなかったか。組織形態も上意下達の指示命令系統が徹底しやすいピラミッド型だった。したがって、社員教育も管理職養成を主眼に置いたものであり、受け身的で「WHY」よりはむしろ「HOW TO」の考え方が中心だった。そして「頑張りましょう」と。何のために頑張るのかは抜けていて、とにかく頑張りましょう、というような教育だった。 ところが、21世紀に入り、企業を取り巻く環境はIT化、グローバル化の急速な進展で、組織も、それまでのピラミッド型では機能しなくなっている。迅速な決断と行動が求められており、お客様に可能なかぎり接触する「フラット&ウェブ」の組織に転換せざるを得なくなった。 我が社で進めている「フラット&ウェブ」組織の特徴は、階層的な部課長制をなくし、お客様、業務にもっとも精通した人に思い切った権限委譲をしている点にある。部長・課長という役職名はなく、グループマネジャー、チームリーダーであり、すべてチームを中心に動かしている。チームリーダーは一番スキルを持っていて、チームを引っぱっていける人間がなる。年齢は関係ない。グループマネジャーも同様で、以前は部長が、あるいは本部長が兼務していた仕事を、職位を問わず、最適任者がやるというふうになっている。 経営理念に基づく人事の基本も「全員経営」「実力主義」、それから「人間尊重」ということで進めている。全員が経営に参加する意識を育てるには、フラットな組織運営が必要だ。「実力主義」とは自分の持つスキル、そして貢献度で評価をしていく。「人間尊重」における「人間」とは、多様な人材活用、性別・年齢・国籍にかかわらず人を生かしていくということになる。 さらに行動基準がある。社会的にも要求されている行動基準を、全社員とその家族の方々にも理解いただき徹底していく。その思いを多くの方に理解いただけるよう、「スーパー正直」に徹する会社にしていきますよ、とやさしい言葉で訴えている。まずは経営陣が率先してスーパー正直でやっていく、皆さんもよろしくというふうに発信をしている。 私たちの本業は、ものづくり、製造業だ。良いものをつくり出していくのが本質であり、原点だが、それに加えて、より良い社会に向けて、良心を発露していく企業を目指したい。その企業姿勢をいかに社会に発信していくか、企業の良心が発露していなければ、どう発露していくか。こういうことを企業行動として進めていくことが、社員全体の1つの大きな支えになっていくのではないか。社会から企業の良心を認められる会社になりたいと考えている。

自由討議

「おふたりの報告で共通していると思えるのは、トヨタはトヨタウェイをお持ちで、松下も松下幸之助氏の精神、企業理念が核になっていることだ。世界のどこに行っても、どんな時代の変化にあっても、企業として変えてはいけないというところを持っており、企業としてはむしろ例外に属するのではないか。トヨタさんは、集団研修という形で役員を相当程度海外にも出している。言ってみれば、教育そのものが仕事という形でずっと保持されていることに感心した」 「教育にお金をかけ、時代の変化の中でもやり遂げるのは大変なことだ。弊社に例をとると、62年当時は6万数千人いた人間を1万5,000人に合理化する過程で、教育という問題をどう取り上げるかはなかなか悩ましいところがある。この十数年間の日本経済の低迷で、教育への投資を怠っているのが当社の率直な現状だ」 「会社はだれのものかというと、株主のものだと答えるのが最近は正解なのだという。でも、株主のものだけではなくて、利用者の利益というのがステークホルダーとして大きいと思うし、社員の利益というのも大きい。金融業界では、毎期に業績が上がれば、金はそれによってペイバックされることになっている。今の日本の社会にグローバルスタンダードが強く言われている分野に、どうもアメリカの金融業界のビヘービアが強く言われ過ぎている。ほんとうはそれだけじゃないんだよという、その対極に我々がいる。その中間の一番オーソドックスなところに、トヨタさんとか松下さんがいらっしゃるという感じを受けた」 「20世紀から21世紀にかけての日本を代表する製造業での変貌はわかったが、社員はこの変化についていけたのだろうか。日夜、家庭も顧みずに働いてきた人たちが、大きな挫折を感じたり、激しい変化についていけなかったりしたのではないか。そういう人たちのケアはきちっとされているのだろうか。私は仕事柄、下請の会社、協力会社の人たちとよく接触するが、そういうところも親会社、大会社の変貌に対応しきれていない社が随分あると感じる。そういう人たちを含めてのケアをぜひ企業の社会的責任として、きちっと対応していただけないものだろうか」 「我々もぼやぼやしていると、踏みにじられてなくなってしまう最前線で一所懸命やっていたので、後ろのほうはあまりケアしていなかった。ついてこられない人がいたかもしれないし、従業員でうまく合わない人がいたかもしれない。もう一度見直してみたい」 「工場で20世紀型というか、自動化ラインの機械を監視したりする管理者がいた。そのラインを取り払い、1人が全部組み立てる方式にしたら、その人たちは仕事がなくなってしまった。新しい能力を身につけないと行き場がない。その辺で不安に感じている人たちがいるのではないかと思う。配慮が行き届かなかったかと思っている」 「我が社では、日本の企業の中でも相当よく面倒を見る、多角的に見る。おかしい状況になるとすぐ見つける仕組みができている。最近の顕著な傾向として、我々の若かった時代に比べ、精神的にまいってしまう人が多く出る傾向が出てきている。ある日突然、会社に来なくなってしまう。各期1人、2人ずつぐらいおり、全部で10人、20人いるというような状況が出ている。 多くは上司に問題があるのだが、そんな上司に負けない強い人間が育ってくるのであれば、より望ましい。そういう意味で、日本の教育システムの中で少し、弱い人間をつくっているのではないか。上司の評価、先生の評価で自分の人生が決まってしまうと思いがちな人間が育ってきているのは、精神の強さ、心の育み方に問題があるのではないか」 「どういう分野でも、得意な人、不得手な人がいる。それが、すなわち勝者、敗者であるというのはやはりよくない。どんな社会でも、底辺を支える人たちのほうが多いわけで、これのケアが大変大事だ。私も研究社会でずっとやってきたが、研究ができない人のほうが多い。これをどういうふうに社会としてハンデをしていくか。そういう意味で、アメリカ型の競争社会はよくないなと考えている。 張さんは、86年にアメリカに行かれて、60家族ばらばらにして日本人を鍛えたと話された。一方、どうしたら世界の優れた人を日本に連れてこられるかということが、研究社会では死活問題になってくる。私どもでは2,800人ぐらいの研究者がいるが、そのうち外国人は三百数十人しかいない。11%だが、日本の大学の外国人は1.4%で、それに比べると多いが、30%、40%にしなければいけない」 「アメリカでは、私たちが着いた初日からウエルカムという感じで、町の皆さんが迎えてくれた。いろんなものに最初から誘ってくれ、参加しなさい、参加しなさいと。世界にはこういう所があるのだと改めてびっくりした。日本は外国人が来ても、ご近所づきあいはあんまりしないし、みんなでやる行事に来ませんかなんて誘わない。日本人は、グループの結束は強固だが、他人を入れないというのが強い。これは大問題だと思う」 「大学人を見ても、やっぱり家に外国人を呼ぶということが少ない。我々も、よその国に行って家庭に呼ばれると、うんと親しみがわく。ところがその逆が全くない。日本人は、家が狭いからと言うが、ほんとうは心が狭いんじゃないかと思っている」 「張さん、中村さんのお話はいずれにしても模範的な会社の模範的な人材教育であり、売っている商品も日本を代表する模範的商品ばっかり。参考になるのかどうかはちょっと、必ずしも普遍性があるかどうかわからないと思う。 私が勤めております社は約7,000人の社員がいるが、その中の1%強がやはり何らかの形で神経的な疾患を持っている。やはり競争に対するストレス、競争に対する弱さというものだと思う。この会合は『こころを育む総合フォーラム』だが、できれば『こころを強くする総合フォーラム』と名前を変えていただきたいぐらいだ。 ものづくりと我々の情報産業とは決定的に違うところがある。こんなくだらない記事は読まない、しかし、ここはおもしろいから読むということがある。まさに個人の能力、新聞記者の能力によって、新聞商品が部分的に劣化したり、部分的に優良化したりする。個人の能力によって商品がその日、その日で優劣が出てしまう。 したがって、会社内における競争、それから同業他社との毎日の競争というのは、ものすごく激しいものがある。そういうときに、人材教育あるいは社員教育をどうすればいいか、あるいは職業倫理をどう植えつけていくか。完璧なものをつくる会社と、優劣の部分のある商品をつくる組織との違いがあるということをご理解いただきたい」 「我々の社会というのは、中間世界とか中間集団のあり方というものの根本的な見直しが始まっている、あるいは見直さざるを得なくなっている時代だと思う。中間というのは個人よりもう少し広い共同生活の場面で、身近な個人生活にかかわる集団だ。かなり家族のあり方、企業のあり方、学校のあり方が、この10年、20年で深刻に再検討が問われるようになってきたと思う。 NHKの『プロジェクトX』が、中年以上の世代の人たちに受けているというが、先生たちが、高校や中学であの番組のビデオを見せても、子供たちはまったく反応しないか、何かつまらなそうな顔をするという。 理由は簡単で、あの番組で描かれる技術者たちの群像の背後では、必ず家族が病気になるか死者が出る。そんな悲劇と裏腹の、犠牲者を出さないと成功しない人生なんて送りたくないと子供たちは言う。これはすごく真っ当な感覚ではないか。 改めて教育と企業、あるいは企業における教育を考えるときに、幾つか押えておくべき問題がある。1つは、学校と企業の共通性ということと学校と企業の違いということだ。  共通性は、メキシコのある思想家が言ったのだが、スクーリングソサエティ、社会が学校化している、家族も学校のようになっている、地域もあるいは企業も学校のようになっている。要するに、資格試験をやる、資格を取ってどこまで達成したかをやる。さらに上級に行くために昇格試験とか認定試験とかというふうに、社会全体が学校のようになってしまっていることをいう。そういう意味で、学校モデルで集団を考える考え方の限界が今問われているのではないか。 私はほんとうの教育をやる場所は、学校よりもむしろ企業ではないかと思っている。学校の先生は、大学という学校を卒業した後、すぐに教師という形で学校に戻るわけで、生涯学校しか見てこなかった人が教育をする。子供たちは、企業に入ってから自分の親父のような世代の人たちと働く、あるいは違う世代が支え合う、仲の悪い人と一緒に共通の目標に向かうことになるのだが、会社で真の意味での人生の勉強をやるのではないか。 学校と企業の違うところだが、企業はやはり長期目標、中期目標、短期の目標とかを立てて、どれぐらい達成されたかで評価をする。今の社会では『評価』がキーワードになって、非常に重要になっている。 だが、私は、ほんとうに大事な評価というのは、評価しきらないところだと思う。 普通、目標というのは、見えている範囲内で目標設定する。重要なのは、そういう目標とか、あるいは社会からのニーズ、見えているニーズのその先にあるものをどういうふうに感受するかという、つまり自分たちには見えていないもののためにも前進するということが、非常に重要なのではないか。 その感覚をどう養うか、今見えているものの中で勝負する、あるいは社会のニーズ、利益にこたえるというだけでなく、その外にある、その先にあるものをどうとらえるかという感受性を、どうトレーニングするかも教育の大きな目標だ。大学というか、学校というところは目標にうまく合わない、役に立たない評価度の低い人もちゃんと収容できる部分が必要だ」 「確かに、現代はすべてが学校をモデルにした教育システムが実施されている。それとは逆に、企業でいろいろなことが行われるようになった。ある程度、学校のような訓練システムというのを是とした社会が、今度は企業論理を是として、それにならった組みかえを始めている。これがさまざまな問題を生み出しているのだろう。 経済協力開発機構(OECD)が世界共通に掲げることができるであろう教育目標というのを3つほど挙げている。1つは知識とか情報とか伝統とか、さまざまなツールをいかに活用するかという能力だ。もう1つは人間関係の能力。残る1つは、自立性というか自己に関する能力だ。この人間関係とか自立性というのは、企業の中でもいろいろな言葉で非常に重視しているように思う。 学校教育がやらなければならないのは基礎学力と言われるが、これなんかはやはりツールであろうと。この広い意味でのツールの獲得が、学校教育の少し狭めたところで特許としてやるべきことなのであろうかと。それ以外の人間を育てるというようなことは学校だけの仕事ではない。すべてのところで生涯を通じてやっていかなければならない。 もう1つ。今日発表されたお二方は、企業倫理もきちっと確立しておいでだと思うが、今問題になっているマンションの耐震構造の偽装などは、まさに企業倫理はどこにあるのか、という問題だ。そうした倫理観というのは一体どこで育てるのか。例えば経営利益とかに追われる修羅場に出ていっても、人としてこれはしてはいけないという倫理をきちっと守れる人を育てる場所というのは、もしかしたら学校、特に初等教育とか中等教育とかそのあたりにあるのかもしれない。 初等教育で倫理をやると言うと、大変古臭い議論になりそうだが、逆に、そういうことを少しきちっとやっておいてから社会に出す場所がないといけない。家庭と学校との両方できちっと遂行されなければいけないのではないか」 「競争、競争と言うが、競争は何のためにしているのか。勝者・敗者をつくっても仕方がない。競争をするということは、それぞれの人の向き不向きを見つけることだというふうに、少なくとも社会の中でそういう見方を広めていかなくてはいけないのではないか。 勝つことが若い人たちの中でも価値観になってしまっている。例えば、今就職をするというのが1つのステータスを獲得することになっている。そうすると、大学3年生になるともう就職活動に入る。大学院では、大学院1年生の夏にはもう就職活動。何のために大学院へ入ってきたのか。 就職が決まったら、ゆっくり勉強すると言うが、自分が満足するところに就職するのは難しいので、就職が決まってもまだ活動している。そうすると、勝つというか、そういうステータスを得るために、学びに来た場所で学ぶことを全くしないという変なことが今大学で起きている。 学ぶ、ここで『こころを育てる』ということだが、育てるということがある反対側には、こちら側に学ぶことの大切さを意識するということがないといけない。だが、今は資格を取るため、勝つために何かをするということで、学ぶというプロセス、自分が変わっていくプロセスというものについては全く意識を持っていない。勝たなければ負けになる。 今の競争という言葉が優先する社会で、競争の意味をきちっとすることと、学ぶというプロセスの大切さを再確認することが必要かなと思う」 「もう1つ気になるのは、そもそもそこへ入ってこられない、あるいは入ってこない、まず働くというところに立つことにならない人たちが一体どのぐらいいて、そして、そういう意味で、集団で働くという経験を持たない、あるいは持てない人々という人たちは一体どういう状態になっているのか。これも心の弱さという問題なのかどうか」 「中小企業をはじめ、なかなか思うようにいかないところがたくさんあるということも、同時に考えておかなくてはいけない。就職さえできないというより、就職をあまり考えない子供たち、人たちがふえているという現状を、やはりきちんと把握しなくちゃいけないなと思っている」 「今の大学生を見ていると、就職への不安が、特に主要大学に入ってきている人たちにある。一方で、いわゆる主要大学でないところの学生は、自分が外れたというふうに思っている人たちが多い。さらに、どういう企業に就職できたかという数字をパンフレットに載せる大学が、我々のところも含めて多い。 私は、特に高等学校のときから、いろいろな道があるんだということを学べる、体験できる場を多くすることが大事だと思う。多様な路線があるのだということを学ぶために、いろんな人たちに出会うこと、いろいろな体験を踏むことをもっと奨励していくべきだと思う。ぜひ企業サイドも応援していただきたい」 「私は、目的のない評価は意味がないと思っている。なぜ評価するかといったら、やっぱり品質の維持あるいは向上のためにあるのであって、勝ち組や負け組をつくったり、弱者を切り捨てたりするためであってはならない。 限られた範囲で、外形的な、あるいは数値化された評価というのは成り立つと思うが、それはある種の分析値であって、分析と評価は違う。分析値が出てきて、だからどうなんだということが大事だろうと思う。人格であるとか、協調性があるとか、そういったことは数値化できない。瑣末な評価項目だけを厳しく数値化することによって、大局が見失われるのではないか」 「熾烈な競争の中で企業の存続をどうするかという、極めて深刻な時期を経てきたために、強者・敗者で分けてしまう行動もあったかと思う。しっかりとした人間社会の縮図というか、そういう企業をもう一度よき社会にしていこうということが必要ではないか」 「やはり学校というか、会社へ入ってくる前に教えてもらったことと企業へ入ってきたときと比べて、あまりに格差があるのは気の毒だ。現実問題として、会社に入ってきたときに、心まで抑えて企業の中でいろんなことを教わり直すのは、やらされる人はほんとうに気の毒だなという気がする」 「日本の社会というのは、いろんな分野で格差社会になっていっているということを感じた。さまざまに分岐・分裂・亀裂を深めている日本の格差社会に対して、価値観・倫理観だけが一貫したものがあるのかどうか。もしかすると、価値観・倫理観すらが分裂し始める、分岐し始めているのではないかという、そういう不安感を非常に強く持った。 それに対して、この会はどういうスタンスで、どういう心構えで議論を深めて、しかも結果を社会に提言していく。大きなお荷物をいただいたような感じがする」 「企業が心の問題で取り組んでいただきたいのは、3点あると思う。1つは、社員に対する、しっかりした倫理観に基づく、社員に希望を持たせ、自信を持たせ、そしてやりがいを持たせ、実力を発揮させていく教育というか、分野だ。それと同時に、社員が単に一人の技術者ないし企業人としてだけではなくて、社会の一員として、家庭人ないし地域の社会を構成する人間として、しっかりした生き方をするようにということも、その教育の中に含めていただきたい。 第2点は、企業がやはり社会的な存在として、地域社会なり日本の社会の大きな存在として、できるだけ貢献を企業の名前でしていただく。地域社会との連携というか、公共の中でそういう広がりを強めていただきたい。 第3点は、企業が自らやれることについては限界があるので、社会で文化活動や教育活動、ボランティア活動、NPOへのサポートを大いにサポートしていただきたい。社会でこれはいいと思ったことについてサポートしていただきたい。日本の企業一般にそういう精神をもっと持っていただきたいなと思う」