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中村桂子さんとの対談をめぐって  山折哲雄座長に聞く

  • 2015年2月18日
  • 有識者対談

対談をめぐって山折哲雄座長インタビュー

 

山折座長インタビューによる対談のポイント解説、第6回は中村桂子氏との対談です。

<対談の内容は下記からお読みいただけます>
第6回対談:中村桂子氏 (連載) 前編 | 中編後編

 

中村桂子さんとの対談をめぐって  山折哲雄座長に聞く

JT生命誌研究館館長、中村桂子さんとの対談を山折座長に振り返ってもらいました。
ポイント解説_中村桂子氏

今回の対談は、中村さんが館長を務めるJT生命誌研究館(大阪府高槻市)を山折さんが訪ね、館内を見学した後で行われた。同館は〈生きものを見つめ、研究し、その過程や成果を表現することを通して、自然・生命・人間について考える場(ホール)〉として、1993年にオープン。初代館長の中村さんは「こころを育む総合フォーラム」(山折座長)の趣旨に賛同し、2005年の発足当時から有識者会議メンバーの1人だ。
山折さんは初めて見る同館に対談の開口一番「びっくりした」と言っているが、後日のインタビューでその理由を詳しく尋ねたら「草花や虫や鳥の命の説明がとても具体的で、人間の命とのつながりがよく理解できる。カラフルで音も聞けるように工夫された展示は、ヒト以前の生きものの命を実に生き生きと表現しているので、誰にでも興味を持たせる。ここにたどり着くまでには、従来の自然科学との間にある壁を乗り越えなければならなかったに違いない。そこにまず感心しました」と明かした。
さて、対談では最初に中村さんが「生命誌」とは何か、生命科学とはどう違うのかといった問題を熱心に語った。戦後の生化学をリードし生命科学研究所を始めた江上不二夫氏の下で研鑽を積み、自分自身が取り組むべきテーマは、38億年にも及ぶ「生きものの歴史」を知り、それで読み解いた歴史物語を美しく表現することにあると気づいて、それを生命誌と名付けたこと。生きもの研究は、わかればわかるほどわからないことが増えてきて、そこが面白いのだということ……。山折さんが「わかる」ことと「納得する」ことの違いに言及すると、中村さんは同意して「体で納得するためには、自然といつも接していないとその感覚が失われてしまう。だから生命誌は納得することをとても大事にしていて、私はそれを『生きもの感覚』と呼んでいます」と応じた。
ここで思い出されるのは、戦後日本を代表する俳人・金子兜太氏の「俳句で何よりも大切なのは『生きもの感覚』である」という言葉。人間だけの視点で自然や人生に迫ったり表現したりするのではなく、常に一匹の虫と同じ「生きもの」として全身と五感で自然を感じることができるかどうかが肝心、という意味だろう。小林一茶の句に傾倒してきた俳壇の大御所ならではの一言だが、生きもの全体の歴史に取り組む科学者の口から同じ言葉が聞かれたのは印象的だ。
現代の日本では毎日のように陰惨な事件が起きている。「日本人の『こころ』は、かつてないような危機的状況にあるのではないか。これを何とかしなければ」という問題提起から始まったのが「こころを育む総合フォーラム」であり、中村さんは各界の有識者に交じって「いのち」の専門家という立場で同フォーラムに参加した。人の命が軽んじられる風潮に心を痛めている人は多いが、「命って、なぜ大切なの?」という幼い子供らの素朴な問いに、うまく答えられる大人は多くない。対談を熟読すると、この難題を解く鍵の一つが「生命誌」なのではないかという気がしてくる。
宗教学者である山折さんは「実は、以前から心配していることがあります」と、次のテーマを切り出した。それは科学技術が発達した一方で、哲学をはじめ人文学や社会科学など人間について研究する分野の学問が非常に貧しくなり、人間本来の存在とは何かという問題への関心が薄れてきたことだ。個々の科学者自身が「なぜ生きるか」「人間はどう生きるべきか」といった根源的な問いと向き合わなければ、「技術」というものは暴走しかねない。いや、実はすでに暴走し始めているのではないか――。
山折さんが危惧する「技術の暴走」には、iPS細胞の開発・応用なども含まれる。ノーベル賞を受賞した山中伸哉氏について「人間的にも研究者としても立派な人」と認めたうえで、山折さんは次のような注文をつけることも忘れない。すなわち、精子や卵子を作りだせるところまで科学技術が進み、将来は生命を誕生させることができるかもしれないとさえ言われる時代になったけれども、それが実現してしまったら果たして人類の未来はどうなるかという大問題がある。これは哲学や宗教の世界の人々だけに任せるべきことではなく、誰よりも科学者自身が真剣に考えなければならないことなのだが、新聞などメディアの論調でもそこが見落とされている。この現状に、山折さんは強い不満を隠さなかった。
対談の中では「文理統合」「文理融合」ということを強調しているが、「文」と「理」はどちらか一方に偏すると危うくて、もろい。「論語」の〈学んで思わざればすなわくらし。思うて学ばざれば則ちあやうし〉の「学」と「思」の関係に、あるいは似ているかもしれない。

山折先生イメージ

平安時代の「堤中納言物語」の中にある「虫愛づる姫君」の話題で始まる終盤は、この対談の白眉と言えるだろう。中村さんは初めて「源氏物語」を読み通して自然描写のすばらしさに驚き、これは自分が思い込んでいた〝色恋〟の物語ではなく、月や花や虫が本当の主役なのではないかと思えてきたと言う。そこから、日本人が真情を伝えたい時の「方言」や「動詞」に欠かせない「やまと言葉」の話になる。とりわけ「ひとり」という言葉をめぐって、山折さんが柿本人麻呂・親鸞・福沢諭吉が用いた語彙を援用し「自然と共に一人でいる」という日本古来の世界観を語った部分は、短いながらも含蓄と示唆に富む。
欧米との違いは、突き詰めると「自然は心の外にあるか、心の中にあるか」ということになりそうだ。自然とは外側から観察すべきものなのか、微細な一員として内側で感じるべきものなのか……。夏目漱石が英語教師時代、「I love you」を「私はあなたを愛しています」と訳した生徒に「日本人はそんなことを言わない。今夜は月がきれいだね、とでもしておきなさい」と諭した、というような逸話がある。事実だとすれば、漱石は「自然の中にいて物を考える人」だったに違いない。
互いに収穫が多かったとお見受けする今回の対談に、ひとことで言うと山折さんはどんな感想を抱いたか。それを聞くと「中村さんは『詩』の世界を理解している科学者。今の日本では貴重な存在だということを改めて感じました」という答えが返ってきた。

 

(文責・永井一顕)

 

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