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こころを育む総合フォーラム 「シンポジウム」 【第3部・有識者メンバーによるパネルディスカッション】

  • 2015年8月3日
  • シンポジウム

第3 部. 有識者メンバーによるパネルディスカッション
テーマ : 「次世代に伝えたい日本人のこころ」

パネリスト   : こころを育む総合フォーラム 有識者メンバー
上田  紀行 氏 (東京工業大学リベラルアーツセンター 教授)
中村  桂子 氏 (JT生命誌研究館 館長)
平野  啓一郎 氏 (小説家)
滝鼻  卓雄 氏 (元 読売新聞東京本社 会長)
安西  祐一郎 氏 (日本学術振興会 理事長) ※氏名:着席順
コーディネータ : 遠山  敦子 氏 (パナソニック教育財団 理事長)
総  評    : 山折  哲雄 氏
(国際日本文化研究センター名誉教授、こころを育む総合フォーラム座長)

こころを育む総合フォーラム シンポジウム3部 パネルディスカッションメインイメージ


パネリスト発言要約

※ご覧になりたい発言者の写真をクリックすると、発言要約(全文)をお読みただけます。

有識者 上田先生イメージ

こころが育まれ琴線に触れる言葉が語られるところはどこにあるのかが問題続きを読むアイコン

有識者 中村先生イメージ

小さな生き物と向き合うことから人間の基本的な“こころ”が生まれる続きを読むアイコン

有識者平野先生イメージ

自己肯定感と社会の恩恵を受けている実感がもてることが大切続きを読むアイコン

有識者滝鼻先生イメージ

自分のこころを相手に伝える手段を忘れてしまった“無言社会”続きを読むアイコン

有識者安西先生イメージ

IT技術などで相手が見えなくなってきている現状をどうするかが課題続きを読むアイコン

有識者山折座長イメージ

次世代の若い人々に伝えるべき日本人のこころ、命の問題について熱いディスカッションをしていただいた続きを読むアイコン


上田 紀行氏・発言要約

「こころが育まれ琴線に触れる言葉が語られるところはどこにあるのかが問題」

有識者 上田先生プロフィール

上田 紀行(うえだ のりゆき)東京工業大学リベラルアーツセンター教授。文化人類学者。1958年東京生まれ。東京大学大学院博士課程修了。「癒し」の語を日本社会に提唱し、近年は日本人の生きる意味を問い、日本仏教の再活性化運動にも関わる。著書に『生きる意味』(岩波新書)、『かけがえのない人間』(講談社現代新書)、『ダライ・ラマとの対話』(講談社文庫)、『がんばれ仏教!』(NHKブックス)、『人生の〈逃げ場〉』(朝日新書)など。

こころの時代というものがいつから始まったかというと、私は1945年ではないかと思う。つまり広島、長崎に原爆が投下され、科学技術の力が地球を何回も滅ぼせる時代になって、私たちのこころが単に1人の中にあるものではなくなってきた。遺伝子の組み換えなどが人間の形すら変えていくようになり、ITというものが出てきて、そうした技術は今、こころと密接にかかわってきている。こころはどこにあるかといえば、多くの人は「私」の中にあると思っている。そのこころを強くしなくてはならない、企業などでもこころを強く保って業績を上げていかなければならないという状況が若い世代を取り巻いている。しかし人間はそう強いものではないので弱い自分、苦しんでいる自分をどこかで表現したいのだが、それができない。こころは人と人の間にある、こころは育み合う関係の中にあるという考え方もあるが、インターネットやSNSの場では自分が皆に承認されなければならない。こころが育まれて、琴線に触れるような言葉が語られるところはどこにあるのか。それが今、大きな問題になっていると思う。

「お天道様が見ているという感覚を」

今の日本人が不安なのは、人間の世界しか見えていないからだ。例えば小さな生物を見て「負けるな一茶これにあり」というような気持ちになることがないと、不安は解消されないんじゃないか。私の大学院に来ていた女の子が、敬虔な仏教徒なのだが30代半ばになっても結婚せず「理想の男性はお釈迦様」と言うのであきれた。ところが40歳ぐらいで結婚して、結婚式に行くと本当にお釈迦様みたいな人がいた。タイの貧しい村の出身で、村では教育が受けられないのでお坊さんになり、大学で博士号を取ってから還俗してタイの大学で教えている。結婚式のスピーチで彼のお父さんが「こんな徳の高い女性と結婚できて息子は幸せだ」と言ったのを聞いて、私は驚いた。日本ではトクと聞けば損得の得を思い浮かべるだろう。タイだって損得に満ちあふれているのだが、得の道とは別に徳の道が走っているところに私はタイ社会の強さを見た。処世術とは違う、命や生き方そのものを処していく〝処生術〟が今の日本にはない。生を処するにはやはり人間を超えたものが必要で、お天道様やご先祖様に対してどうかという、何か向こう側から見ている目があるという感覚を、もう1回復活させられないものだろうか。

「“魅力ある人”になる」

有識者上田先生発言イメージ

学生を見ていると「この先生、面白い人だな」ということの方が、その先生の言っている内容より響く。つまらない先生は言っていることもダメだ。我々の世代は「できる人になる」というのを目指してきたが、これからは「魅力ある人」になった方がいい。いい点数を取って尊敬されるのではなく「お前って面白いな、魅力がある」と言われる人を目指した方がいいと思う。今日の会場には高齢の人も多いが、年を食うと誰にでもどこか尊敬できるところがあるもので、ジジイになるとしょぼくれて何もできなくなるという感じを若者に与えてはいけない。皆が皆の人生に痕跡を残し合うような場を、これからどういう風に作っていくかが大切になっていると私は思う。

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中村 桂子氏・発言要約

「小さな生き物と向き合うことから人間の基本的な“こころ”が生まれる」

有識者中村先生プロフィール

中村桂子(なかむら けいこ)JT生命誌研究館 館長。1936年生まれ。東京都出身。東京大学理学部化学科卒業、東京大学大学院生物化学専攻博士課程修了(理学博士)。国立予防衛生研究所、三菱化成生命科学研究所人間自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、JT生命誌研究館副館長を経て現職。

人間は生き物で、自然の一部だ。当たり前のことだが、私の仕事はそれを基本としている。日本の社会は、科学技術と経済優先で動くようになり都会は高層ビルだらけになって、小さな生き物たちが追い出されてしまった。しかし東京でも幼い子どもと歩いていると、どんなコンクリの隅にも小さな花が咲いているし、ダンゴムシがいて、子どもたちはそれを必ず見つける。一緒にいる大人は「早く行かなければダメ」と連れていってしまうけれども、それをやめることが子どもの「こころ」を育む出発点だと思う。人と人の間にある「こころ」を大事にするためにも、小さな生き物と向き合うところから基本的な「こころ」を育てるのがよいと思う。科学技術の時代、科学の世界にいるとすぐに答えを求められる。「こころとは何ですか」とも聞かれる。それに答えはない。自分で見て、自分で考え続けるしかなく、それが生きるということだと思うのだが、それがなくなっている。

「生き物としての違い。“同じだけれども違う”という考え方が大切」

生き物の特徴はまず多様性。しかしバラバラではなく共通性がある。私たち人間も、基本的には同じであり、でも一人ひとりが違うというところが大事。DNA研究から「皆同じ」と「違う」とが現実に見えてくるので、研究してきてよかったと思うし、それを伝えたい。その視点から、教育でも、〇か×かと二分しないで「同じだけれども違う」という考え方を取り入れて豊かな知を育てたい。

「地域や家族などに目を向けて大切にすること」

中村氏発言イメージ

尊敬する人は「偉人」ではないと思う。今の生命誌研究館は、「これこそ自分の本当の仕事だ」と思って始めたのだが、それは57歳の時のことで、普通ならそろそろ定年という年齢だ。小学校の時から私には尊敬する先生が何人もいて、その先生のおっしゃる通りに一生懸命やることが面白くてたまらなかった。この専門分野に入ったのも、高校の化学の先生を見て「あのようになりたい」と思ったのがきっかけだし、大学に入るとさらに多くの先生から直接教えていただいた。尊敬する先生方の中で暮らしてこられたことが、一番の幸せと思っているうちに57歳、そこでやっと一人立ちした。今そういう先生が少ない。グローバル化が進み、一律の価値の中で競争しなさいと言われているからではないだろうか。もちろんグローバル化は大事だが、地域や家族など小さなところにこそ目を向けたい。仕事で子どもたちと接する機会が多いが、「子どもってすごい」と思う。子どもたちのすばらしいところを見つけ、地域など小さなところでの日常を大切にするところから、尊敬という関係が生まれてくると思う。直接触れることで。。

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平野 啓一郎氏・発言要約

「自己肯定感と社会の恩恵を受けている実感がもてることが大切」

平野 啓一郎(ひらの けいいちろう)小説家。1975年愛知県生。北九州出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した 『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。 主著は、小説『決壊』、『空白を満たしなさい』、新書『私とは何か「個人」から「分人」へ』など。 近著は作品集『透明な迷宮』、エッセイ&対談集『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』。

平野 啓一郎(ひらの けいいちろう)小説家。1975年愛知県生。北九州出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。
主著は、小説『決壊』、『空白を満たしなさい』、新書『私とは何か「個人」から「分人」へ』など。
近著は作品集『透明な迷宮』、エッセイ&対談集『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』。

僕が10代で小説に興味を持ち始めたのは、自分のものの感じ方が周りとは違うという違和感からだった。時代も国も違う小説の中に「僕の思っていること」が次々に出てきて、読むのが好きになった。人には遺伝的にも環境的にも「個性」があって、それだけでは「社会」が成立しないので学校教育は共通性を身につけさせるわけだが、多様な関心を持つ人がいろいろな機能を担ってくれないと社会は成り立たない。「人と同じように」と「個性的に」の間には矛盾があるので、自己肯定という感情が大切になる。自分のすべてを人に受け入れてもらうのは大変だが、誰と一緒にいる時の自分が好きかを足場にして生きていくことはできる。一方、1人では生きていけない社会を維持するためには納税などの義務があって、それを果たすには社会の恩恵をこうむっているという実感が必要だ。その実感がないと、こんな社会は壊してもいいと思ってしまう。社会から受ける恩恵が、自発的に秩序を守ろうという気持ちにつながるのではないだろうか。


「年上の世代に尊敬したい人がいれば自分もそうなるように努力する」

尊敬される、ということの意味を考えることが大事だと思う。仕事をしていて、同じことを頼まれても「あの人のためなら」と思える相手がいるもので、それはその人を尊敬できているからだ。三島由紀夫という作家は年上の世代に尊敬する人が全然いなくて、憧れたのは夭折した人ばかりだった。そうすると「自分も長生きしてはいけない」という発想になる。今の若い人たちも、年上の世代に尊敬したい人がいれば自分もそうなるように努力すると思うのだが、なかなか尊敬する気持ちが湧いてこないという現実もある。年上の世代は「俺を尊敬しろ」と尊大になる必要はないが、やはり尊敬される方が人生は生きやすくなるはず。日本人というのは世間の評価を気にするし、僕も結局は世間の評価の中で生きているという感じをぬぐえないのだが、それは必ずしも悪いことではない。どういう人が尊敬できてどういう人が尊敬できないか、その価値観がもう1回見直されるべきじゃないかという気がする。


「日本人とは何なのかということを考える時、“人類”としての見地が必要」

有識者平野啓一郎氏発言イメージ

日本人は人目を気にしすぎだ、もっと自己アピールすべきだとよく言われるが、最近は気にしすぎということを返って気にしすぎているように思う。はっきり「ノー」と言いさえすればいいというのは誤解で、ノーと言うからにはその理由を相手によく説明しないとコミュニケーションが成り立たない。人を尊敬するには謙虚さも必要で、日本人の相手を気遣う控えめな謙虚さは外国人にも好感を持たれているはずだ。僕は小説を書く場合、登場人物が初めは嫌なやつ、変な人物という印象を与えても、読み進むうちに「自分にもそういうところがある」と読者が共感できるように、人間の普遍的な部分に触れていくことを大切にしている。日本人とは何なのかということを僕もずっと考えていて、最近は特に考えるようになった。よく「日本人とは……」と説く人と自分との間にギャップを感じることも多いが、これからは世界のいろいろな国の人と接していくことを思えば、やはり「人類」としての見地が必要になるのではないだろうか。

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滝鼻 卓雄氏・発言要約

「自分のこころを相手に伝える手段を忘れてしまった“無言社会”」

有識者滝鼻氏プロフィール

滝鼻 卓雄(たきはな たくお)元 読売新聞東京本社 会長。1939年生まれ。東京都出身。1963年慶應大学法学部政治学科卒。同年に読売新聞社に新聞記者として入社。主に社会部の司法担当。その後論説委員、社会部長、社長室長などを務めた。
2004年、読売新聞東京本社社長、会長に就き、同時に巨人軍オーナーも務めた。2013年に退職。現在フリーのジャーナリスト。

2000年ごろを境に人と人の関係が変わってきた、相手というものがITによって希薄になってしまったという山折座長の講演を聞いて、ハッと気づいたことがある。最近の体験だが、込み合う新宿駅の西口でJRの若い2人の駅員が中年の男性と言い争いをしていた。僕は75歳の現在でも好奇心が旺盛なので「何ごとだろう」と近寄ってみると、くわえたばこで改札口を通ろうとした中年男性に「ここは禁煙。危険です!」と、駅員がたばこをもぎ取って下にたたきつけたのだという。「お前、何するんだ!」と怒りだした相手に「そんな危険行為をする人から『お前』呼ばわりされる覚えはない!」と、厳しく対応している。間に入った駅の中堅幹部らしい人はおろおろするばかりで、駅員というのは騒ぎを起こしたくないのが普通だろうけれども、僕は無法者に堂々とものを言う青年駅員の態度にとても感動した。それで、よく知っているJR東日本のトップの人に目撃談を伝え、2人の青年に東京ドーム(巨人戦)の1等席のチケットを送った。すると後日、字は下手だったが2人から几帳面な手紙をもらった。……何が言いたいかというと、人と人との関係が今、やはり少しおかしくなりつつあると思う。2人の青年が無法者を怒鳴りつけたように、1メートル以内の距離に近づいて自分の考えていることを伝達するというようなことを誰もしなくなり、何か「無言社会」のようになってしまった。自分のこころを相手に伝える手段を忘れてしまったのではないか。山折さんの話を聞いていてハッと気づいたのは、そういうことだった。

「相手の言葉や行動を受け入れ、感じ合うこころが大切」

有識者滝鼻氏発言イメージ

こころという問題を考える時、やはり人の考え方や複数の価値を自分自身が同時に受け入れることを心掛けなければならないと思う。それは政治的な思想や経済的な価値、宗教的な心情などではなく、育ってきた環境や仕事が全く違う相手の言葉や行動を「なるほど」と感じ合うこころのことだ。「こころを育む総合フォーラム」が始まって10年になるが最近、今から11年前に出た山折哲雄『こころ塾』という本を自分の書棚で見つけたので、ここに持ってきた。これは13人のいわゆる著名人との対談集だが、大トリの対談相手は歌手の島倉千代子で、その内容が非常におもしろいので、さわりの部分を紹介したい。山折さんの好きな「東京だよおっ母さん」という島倉の曲があって、これは歌詞の1番で二重橋、2番で九段つまり靖国神社、3番で浅草を歌っているのだが、山折さんは何度も聞いているうちに「これは巡礼歌ではないか」と思ったそうだ。子どもを戦争で亡くし、その子の慰霊・鎮魂のために東京へ出てきた「おっ母さん」のこころが、娘の案内で3つの〝聖地〟を巡るうちにだんだん癒されてくる。日本を代表する宗教学者と演歌歌手が、2人そろって「この歌にはこころを癒されますね」と共感し合っているのを読んで、「こころ」について考え続ける僕はとてもうらやましく感じた。

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安西 祐一郎氏・発言要約

「IT技術などで相手が見えなくなってきている現状をどうするかが課題」

有識者安西氏プロフィール

安西 祐一郎(あんざい ゆういちろう)日本学術振興会 理事長。1974年慶應義塾大学大学院理工学研究科博士課程修了。北海道大学文学部助教授を経て、慶應義塾大学理工学部教授、同学部長、2001~09年慶應義塾長。中央教育審議会会長等歴任。認知科学・情報科学専攻、著書『心と脳』、『問題解決の心理学』ほか多数。

私はもともと理系の出身だが、38歳の時にいろいろ思うことがあり、それまでいた慶應義塾大学を辞めて北海道大学の文学部で教えるようになった。その後慶應に戻ったけれども、こころの問題を深く考える文学部の学問世界と科学技術の世界が今は切り離されていると捉えられていて、両者がどうつながっていくかということが、これからの時代には大事だ。一方で、私は教育関係にもずいぶんかかわってきた。日本の高校進学率は約98%になっているが、私が気になっているのは多くの高校生が自分の目標を持てずにいることだ。高校生の約85%は「将来が不安」と感じているという調査結果がある。この数字はアメリカや中国に比べて非常に高く、いろいろな要因が考えられるが、今の状況は変えていかなければならない。山折さんがおっしゃるように、人と人の関係が「相手と自分」から「他者と自己」というふうに変わってきた。ITなどの技術が人と人との関係にどうかかわっていくかは私自身の関心事でもあり、高校生の不安を考えるにつけ、相手が見えなくなってきている現状をどうするかが大きな課題だと思う。

「“子どもは大人の鏡”。地域、社会に出ていろいろな人たちと出会う機会が大切」

人間の多様性、尊敬されることの意味、ご先祖様の存在といったことは、子どもたち一人ひとりがいろんな人に出会って「ああ、こういうこともあるんだな」と見つけていくことが大事だが、そういう場はだんだん狭まってきているように思う。私が生まれ育ったのはこの会場(イイノホール)からすぐの虎ノ門だが、戦後間もないころは神社のお祭りがあり縁日もあった。学校でもなく家庭でもない「隣近所」というものが身近にあった。今の子どもたちは尊敬する人となかなか出会えなくなっているが、「子どもは大人の鏡」というように、インターネットで広がっていいはずの世界が逆に狭くなってきているのは、子どもよりも実は大人の方なのではないか。高校生はアルバイトをしてはいけないと言われることが多いらしく、それはバイト先で受ける良くない影響やお金の使い道を周りの大人が気にするからだろう。アルバイトがすべていいというわけではないけれども、いろいろな人たちと出会う機会が学校や家庭以外で多くあるということが、私はとても大事なのではないかと思っている。

「大昔から培ってきた日本人の良いこころをつかみ取って世界に活動を広げてほしい」

有識者安西氏発言イメージ

赤ちゃんがお母さんのおなかの中にいる時から、自己肯定感につながる関係を持てることが大切だという考え方が広まってきて、これは本当のことだと思う。それを今度は子どもたち自身が、人を尊敬できるエネルギーを持って変わっていけるように大人が応援する。こころを育むうえでは、それが大事なのではないか。22世紀まで生きるかもしれない今の子どもたちは、これから多くの人たちといろいろなコミュニケーションをとって生きていくわけだが、活動の場がもう日本国内だけではなくなった。若い人には、我々が大昔から培ってきた日本人のこころの良いところを切り離すのではなく、「やっぱり日本人のこころとはこういうものなんだな」ということを自分たちの力でつかみ取ってほしいと思う。

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山折座長・総評

山折 哲雄(やまおりてつお)国際日本文化研究センター名誉教授 こころを育む総合フォーラム座長。1931年サンフランシスコ生まれ。1954年 東北大学文学部卒業。2001年5月~2005年5月 まで国際日本文化研究センター所長を務める。現在、同センター名誉教授、こころを育む総合 フォーラム座長。専門の宗教学の立場から日本人の「こころ」や文化風土へのアプローチを続け ている。

山折 哲雄(やまおりてつお)国際日本文化研究センター名誉教授 こころを育む総合フォーラム座長。1931年 サンフランシスコ生まれ。1954年東北大学文学部卒業。2001年5月~2005年5月まで国際日本文化研究センター所長を務める。現在、同センター名誉教授、こころを育む総合フォーラム座長。専門の宗教学の立場から日本人の「こころ」や文化風土へのアプローチを続けている。

今日は、次世代の若い人々に伝えるべき日本人のこころ、命の問題について熱いディスカッションをしていただいた。尊敬すべき人という場合の尊敬という言葉には、その人が持っている尊重すべき価値観という意味が含まれている。長い歴史を通じて培われ、蓄積されてきた価値観を表すいい言葉がたくさんあるが、それが1つ、2つと忘れられ始めているのではないかという危惧の念を私は持っている。3.11の大震災で福島原発の事故が起こり「想定外」という言葉が批判を浴びたが、その後は地震や噴火など想定外のことばかりが起こっている。むしろ、この地上で起こることはすべて「想定内」だと受け取らなければならない状況に差し掛かっているのではないか。想定外、想定内という二項対立的な考え方が限界に来ている時、我々はどういう価値観を先祖から頂戴してきたかと考えると、たくさんある。私が最近、いい言葉だと思っているのは「備えあれば憂いなし」だ。これは個人を超えて、いわば大衆の集団意識として受け継がれてきた価値観を表しているが、人間の知恵や工夫を総動員して備えに当たっても、それで果たして「憂いなし」となるかどうかは疑問だ。その間を埋める言葉として思い浮かぶ「覚悟」とか「諦める」とか「腹をくくって受け取る」などには珠玉のような価値観が含まれているが、これを若い世代にどう伝えていけばいいのかがこれまた至難の業。こころというのは定めなき世界の事柄であり、我々の命もいつ何時、突然失われるかもしれないという定めなき運命に置かれている。こころと命の連関をそういう観点で考え直す時、先祖が残してくれた「備えあれば憂いなし」の含蓄のある貴重な言葉があらためて見えてくるような気がする。


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