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安西祐一郎さんとの対談をめぐって  山折哲雄座長に聞く

  • 2014年5月14日
  • 有識者対談

対談をめぐって山折哲雄座長インタビュー

 

山折座長インタビューによる対談のポイント解説、第4回は安西祐一郎先生との対談です。

<対談の内容は下記からお読みいただけます>
第4回対談:安西祐一郎先生 (連載)第1回 第2回 第3回 第4回

 

安西祐一郎さんとの対談をめぐって  山折哲雄座長に聞く

慶應義塾大学前学長の安西祐一郎さんとの対談を、山折座長に振り返ってもらいました。
ポイント解説第3回

今回の対談相手である安西さんは、山折さんが座長を務める「こころを育む総合フォーラム」が2005年に発足した当初からの有識者会議メンバーの1人。情報科学、認知科学などの先端分野を歩んできた工学者で、幼稚舎以来の母校・慶應では大学の学長(塾長)も務めた(2001~09年)。日本の大学は「終末期」を迎えているのではないか、という安西さんの問題提起から対談は始まった。大学で受け身の教育を受けて社会に出、普通にやっていれば生きていけるという時代は終わりに来ているのではないか……。

これに対して、山折さんが「プラスの意味でのささやかな異変」として話題にしたのは、2013年のセンター試験(国語)に小林秀雄の『鍔』という文章が出題されたこと。難解といわれるだけあって受験生の正答率は低かったが、山折さんは学生時代から小林の文章に強く惹かれてきた。「なぜ出題されたかを考えたら、もしかすると3・11(大震災)の影響かもしれません」。小林秀雄の文章は、人間とは何か、人間いかに生きるべきかを問うもので、そこが見直されたのだとすれば「希望」が感じられる、と山折さんは語った。それはどういう意味なのかについて、次のように説明する。

「本当の教養というものは、後から身に付くものではない。人間を根底で支えているのは一人ひとりが生まれたり育ったりした大地や自然――いわば『原風景』なのではないか。そのことに気づかせてくれるのが小林秀雄の文章です。我々の世代だと彼に強いシンパシーを感じますが、戦後は段々それが希薄になってきていた。しかし国際化が進み3・11も経験した今、日本の大学で教える若い世代がそういうことに気づくようになったのだとすれば、あまり悲観すべきじゃないのかな、と感じたわけです」

凶悪犯罪の予防という重要な課題に関して、山折さんは1960年代末に起きた永山則夫の連続射殺事件に触れ、彼の精神鑑定記録を追ったノンフィクションを紹介。人間を支える「原風景」というものは、愛国心や愛郷心よりもっと広がりのある「人間の生き方の根源」を示すもので、それこそが真の教養なのではないか、と持論を述べる。安西さんも「日本の大学が終末期を迎えているのは、そういう意味の教養を忘れて外から与えられた知識をただ教壇から流してきたからだと思う」と賛同した。

山折さんはまた、2001年に大阪府池田市で起きた宅間守による小学生無差別殺傷事件を取り上げる。近年、その精神鑑定書が公開されたのを読んで「情性欠如」という鑑定結果に驚いたという。人間の「情」が全く欠けているとは一体、どういう状態のことを指すのか。対談の中では「日本の戦後教育には『情』の部分が欠けているのではないかと私は考えてきた」と語り、夏目漱石『草枕』の冒頭に出てくる有名な「智・情・意」を我々はどう解釈すればいいのかと自問した。世間では「義理人情」などとひとことで言うが、では「情」とは何かということになれば、一筋縄ではいかない。漱石の文学に親しんできた山折さんらしい含蓄に富む言葉を、後日のインタビューで聞くことができた。

「漱石の『こゝろ』が朝日新聞に連載されてから今年でちょうど100年だそうですが、あの小説で親友との仲よりも恋の成就を選んでしまった『先生』が苦悩し続け、最後は自殺する道を選ぶというのが、今の若い人にはどうもピンと来ないらしい。いや、実は僕自身も若い頃はよく理解できなかった。でも『こゝろ』の前に書かれた『行人』をよく読むと、先生が自殺せざるをえなかった理由に思い至ります。ぜひ再読してみて下さい」

「漱石に限らず、近代の優れた文学作品が今は読まれなくなってきている。なぜ、その価値を高校や大学で教えられないんでしょうね。連続殺人犯の永山則夫は事件当時、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいて、主人公が高利貸しの老婆を殺すところまでは読んでいたが、娼婦ソーニャと出会って魂が救われるくだりを読んでいません。若者が文学によって自分の生き方を根本から考え、それなりの答えを見いだす――そこに文学の真価があると僕は今も思っていますが、最近はどうも顧みられていない気がします」

対談の後半で印象的なのは、教育者として「若い人に幸せになってほしい」と願う安西さんが、しきりに「普通の高校生の人生が心配」と強調していることだ。高校生の大半を占める“学力中間層”の勉強時間が過去15年間で半減している事実を指摘し、「彼らが一体どういう人生を歩むかが非常に気になっています……余計な心配なんですけれど」と言う安西さんに、山折さんは「いや、余計な心配ではないと思います」と即応した。“夢も希望もない”10代が増えている現状を、何はさておき打開しなければという点で2人の考えは完全な一致を見たようだ。そしてこれは、「こころを育む総合フォーラム」がスタート当時から最重要課題として取り組んできたテーマに外ならない。

山折先生イメージ

「有意義な対談でした」と振り返る山折さんは、こんな感懐も口にした。

「絆。助け合い。連帯。支援……3.11震災後、どこでもよく聞かれるようになった言葉で、それはもちろん大切なことです。決して1人では生きられないのが人間なのだから。ただ、これからも少子高齢化が進む日本では『1人で生きる力』が見直されるべきなのかもしれません。日本人の精神史を僕は大きく3つに分けて考えています」

それは、①個人の魂の救済が求められ、法然・親鸞・日蓮らを輩出した13世紀(鎌倉時代) ②日本が初めて「国家」というものを強く意識させられた明治維新前後 ③常に「世界」を意識しなければならなくなった現代――の3つだ。日本人は、あるいはもう一度13世紀に立ち返るべきなのかもしれない、と山折さんは感じている。対談の最後の方では「選択肢が多すぎる現代では『あきらめる』ことを学ぶことも必要だ」と述べた。

「僕も若い時分、大学に進んで好きな文学を勉強すべきか、それとも父の跡を継いで坊さんになるべきか迷った経験がある。何か一つの道を選ぶということは、別の何かを『あきらめる』ことなのだと思います」

キリスト教やイスラム教など、諸外国の激しい「信じる宗教」を一概に否定したり排除したりすることなく、しかも日本古来の穏やかな「感じる宗教」の意義を説き続けてきた宗教学者ならではの深い「祈り」が伝わってくる言葉ではないだろうか。

 

(文責・永井一顕)

 

後援
  • 文部科学省
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