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最新レポート

山折哲雄 × 鷲田清一
第4回[最終回] 教養とはマネジメント能力であり、勇気だ

  • 2013年9月25日
  • 有識者対談

 

山折座長と対談していただく最初の有識者は、鷲田清一先生です。4回に分けて日本の教養の系譜と、西洋の教養との違いを語ります。今回は、第4回[最終回]です。

※対談(第1回): 日本人の教養と、根深い西洋コンプレックス

※対談(第2回): 教養をめぐる、経済界トップの勘違い

※対談(第3回):現代の科学者には、どんな教養が必要か?

有識者対談イメージ


コンテキストとネットワーク

鷲田:これまで、江戸時代、明治、戦後の教養について語ってきましたが、そのどれにも共通して目指したものがあると思います。

ひとつは、あるものに直面したときや、あるものを見たときに、どれだけコンテキストを持っているかということです。つまりひとつの事柄に対して、「こういう視点から見ると、こういうことが見えてきて、こういう問題も見えてくる」というふうに、どれだけたくさんのコンテキストを持って見られるかです。

もうひとつは実践的なことで、ある事柄を解決するときに、どれだけの人のネットワークを深められるかです。教養というのは、単に、コンテキストをいろんな面から見られるだけでなく、問題を解決するために、どんな人のネットワークを使えるうかということです。本当は、現代の科学者もそういう意味での教養を求められています。

システム工学や情報科学の最先端に取り組んでいる人が、あるアイデアを思いついたとしても、それだけでは何もできません。それを、何かひとつの商品や制度にまで落とし込むためには、さまざまなネットワークが必要になります。物を作るならば材料学のプロがいるし、コスト計算をするためには経営や財務のプロもいるし、世間や政府の関心を引き寄せるには広報のプロもいります。

要するに、細分化された現代の社会では、自分とは全然違う専攻領域の人を巻き込まないと、情報科学の新しい発見すら形にならないわけです。だからこそ、各分野の人たちの特性、たとえば、財務の人のこだわりはこのあたりにあるとか、デザイナーの人を説得するにはここが重要だとか、いろんなツボを知っていないといけない。そのためには、普段からアンテナを張って、自分とは違う専門の人たちが何にこだわって仕事をしているかを観察する必要があります。これが私のいうコンテキストを知るということです。

このコンテキストとネットワークの2つが、現代的な教養のコアにあるものではないかと思います。

山折:それは、マネジメント能力やプロデュース能力と言ってもいいものですか。日本の文化、情報、教育の世界では、「本当のマネジャーがいない」「プロデュースする人がいない」という言葉をしばしば耳にします。

鷲田:そう言ってもいいと思いますが、マネジメントという言葉を使ってしまうと、またその筋のプロを連れて来ないといけない、という話になるおそれがあります。

勇気のない教養は役に立たない

山折:マネジメントという意味では、経営者、特に中小企業の社長というのは本当に苦労しています

山折哲雄(やまおり・てつお) こころを育む総合フォーラム座長 1931年、サンフランシスコ生まれ。岩手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

山折哲雄(やまおり・てつお) こころを育む総合フォーラム座長 1931年、サンフランシスコ生まれ。岩手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

鷲田:経営者は背筋が震え上がるような経験をして、修羅場を乗り越えてきていますからね。誰も代わりに決断してくれませんし。その意味で、経営者には、本当の意味での教養がないといけない。

それに、国の経営者という意味では、政治家にも教養が必要になります。「国家百年の計」という言葉がありますが、哲学を持ち上げるわけではないですが、これからの政治家というのは、少なくとも百年、できれば数百年を射程に入れた歴史的教養や哲学がなかったらやっていけないはずですよ。

最近、政治家と経済界のリーダーを見ていて正気なのかと思うのは、この期に及んで、経済成長という言葉を使うことです。もうこれから2040年代までに、人口がどれだけ減るかはわかっているわけです。社会の縮小をやるしかないのです。そして、社会を縮小するとなると、取捨選択をしなければなりません。

経済の成長率が落ちたとしても、これは日本としてもっと拡張するとか、これはあきらめるとか、あるいは減らすとか、要するに、みんなに嫌なこと、我慢を強いることを決断する責任があるはずです。そのときに何をやめるか、何を守るか、何にもっと力を入れるかを決めないといけない。これを私は、「価値の遠近法」と言っています。

何か物事に直面したときに、「絶対に手放してはいけないもの」「あったらいいけどなくてもいいもの」「端的になくてもいいもの」「絶対あってはいけないもの」の4つくらいに、さっとカテゴライズできるのが本当の教養だと思います。

今後の政治家は、価値の遠近法、つまりは哲学をしっかり持って、それを背景に、人々に「つらいけれど我慢しよう」と呼びかけ、説得しなければいけないわけです。

山折:これからの日本の子どもの世代、次の世代のためを考えれば、老人世代、高年齢世代にかかっているコストを削る以外にはないですよ。だから医療、年金、介護の予算を削っていかざるをえない。政治家もそれはわかっていると思います。わかっているけれども、決断できない。だから教養の核にあるものは勇気かもしれない。

鷲田:ああ、そう考えたらね。

山折:勇気のない教養というのは、役に立たない教養。

鷲田:結構、古代ギリシャの時代に戻っていくかもしれない。

山折:今の日本には、勇気をもった政治家がひとりもいない。みんな調整家になりたがる。学問の世界でも、勇気の発動をみる機会がまことに少なくなっている……。


右肩上がり世代の異常性

鷲田:今はとにかく30代以上から高齢者まで、全部右肩上がりしか知らない世代でしょう。戦後、いったんガクンと落ちましたが、すぐまた復興特需、朝鮮戦争・ベトナム戦争特需があって、いわゆる高度成長に向かいましたから。でも、日本や世界の歴史を見て、急激な右肩上がりが続いたのは、20世紀だけですよ。

鷲田清一(わしだ・きよかず) 哲学者 1949年生まれ。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科哲学専攻博士課程修了。関西大学、大阪大学で教授職を務め、現在は大谷大学教授。前大阪大学総長、大阪大学名誉教授。専攻は哲学・倫理学。『京都の平熱――哲学者の都市案内』『の現象学』など著書多数

鷲田清一(わしだ・きよかず) 哲学者 1949年生まれ。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科哲学専攻博士課程修了。関西大学、大阪大学で教授職を務め、現在は大谷大学教授。前大阪大学総長、大阪大学名誉教授。専攻は哲学・倫理学。『京都の平熱――哲学者の都市案内』『の現象学』など著書多数

山折:そうかな、世界の経済を見ると。

鷲田:江戸時代は200年、300年の間、物価はほとんど変わっていません。

山折:あー、そうか。

鷲田:いわゆる定常社会です。20世紀に近代産業が生まれてから、エネルギー消費から何から何までビューンと1世紀で上がったわけです。つまり、右肩上がりというのは、人類史において非常に特殊なケースだということです。

私が思うに、高度成長期を生きて、それしか経験していない人々は、子孫を心配しない人たちだということです。

山折:なるほど。

鷲田:明日、明後日と、だんだんよくなっていくので、何か事が起きても、次の世代は技術も発達しているし、今、抱えている問題も全部解決するだろうと考えるわけです。だから、右肩上がりの世代は、今、一生懸命頑張っておいたら、次の時代はまた次の時代の人間がちゃんと解決してくれるという、オプティミ二ズムで生きていけます。

ところが定常時代の人たちは、戦争や大災害が起きたら、自分たちの子孫は必ず飢えるという意識があるわけです。今、生きているのもギリギリですから。だから、今のうちに、将来世代、子孫のために蓄えを残そうとします。

それから儲けの世界について言うと、先代の中村宗哲(なかむらそうてつ)さんは「儲けられるときに儲けすぎたらあかん。ビジネスチャンスがあっても、あえてそこで儲けすぎない。それが家が長く続く秘訣」だとおしゃっていました。

山折:近江商人の「三方よし」がそれですね。

鷲田:定常社会でずっと生きていると、何か起こったら飢えるという心配があるわけです。ところが、今の政治経済の中枢、リーダーになっている人というのは、基本的に子孫の心配をしない時代に生きてきたから、あれだけ借金が膨らんでも……。

山折:成長戦略を連呼している。

鷲田:ものすごく荒っぽい議論ではありますけど。

山折:いや、とても重要な指摘。そのとおりです。

鷲田:今の30代以下の子は右肩上がりを知らないし、感覚的に理解できない。だから、若い世代のほうがまともだと思いますよ。

団塊の世代が日本を滅ぼす

山折:30代以下は、定常社会を生きる新しい世代ということになりますか?

鷲田:われわれが若いときには、大人になったら自動車が欲しいとか、できれば大きいスポーツカーが欲しいといった、ぎらぎらした上昇欲や出世エゴがありましたが、今の若い人子にはそういう欲望が全然ないでしょう。免許も取らないし、新聞もとらない。右肩上がりの欲望がない。それは人類史全体からみたら、はるかにまともなことだと思います。

山折:おっしゃるとおりですな。われわれの世代も同じですよ。

鷲田:そうですか。

山折:車に乗りたいとか、スコッチ飲みたいとは思わなかった。「幸福になんかなるもんか」と思っていましたよ。

鷲田:戦後世代の病ですか。

山折:まあ一種の戦後コンプレックスみたいなものかもしれないですが。私には、「近代を生きるというのは不幸に耐えることだ」という先入観念がありました。19世紀文学というのは、不幸な世界を描くのが主題だった。それが近代だ、という感覚で生活していたような気がします。

鷲田:団塊の世代は、近代ではなく、高度消費社会を生きてきた世代です。右肩上がりというのが、体感なんですよ。まず背は親父より大きいですし。

山折:子どもたちはみんな、親父より背は高い?

鷲田:もちろんです。

山折:われわれは、親父と身長はだいたい同じです。

鷲田:われわれは戦後世代で、ミルクで育ちましたから。それと何よりも学歴が違いますよ。

山折:それはそうですな。

鷲田:今の子でしたら、親父も半分くらいは大学を出ていますが、われわれの親の時代は、旧制高校にも100人に1人くらいしか行けない時代でしたから。だから、何においても、成長するというのは、親父を超えることだったのです。それが体にしみ付いています。

山折:親父の地位が低下するのは、それと関係があるのかな。

鷲田:僕らの世代以降は、もう雑魚寝も知りません。

山折:鷲田さんは団塊の世代ですか?

鷲田:はい、そうです。

山折:私は前々からずっと、「団塊の世代が日本を滅ぼすかもしれない」と言ってきました。だいたいそれは当たっていますね。

鷲田:当たっています(笑)。団塊よりもうちょっと前ぐらい、今の70歳から60歳の間あたりから、なんか人品が変わってきているでしょう。

山折:昔は老人にはもっと威厳がありましたが、今はなくなってしまった。それは、歩き方を見ていたらわかりますよ。年を取ったから、足腰が弱ってヨロヨロしてくる。やっぱり人間は、いいときに舞台の正面から去るべきかもしれません。


(司会・構成:佐々木紀彦、撮影:ヒラオカスタジオ)

後援
  • 文部科学省
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